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顧雍
168年-243年。字は元歎。呉郡呉県の人。父の名は不明。蔡邕に師事した。後漢の合肥県令を初め地方官を務めたのち孫権に仕えた。十九年の長期にわたり丞相を務めた。寡黙、公正で孫権には顧公が酒席にいると人々は楽しめないとまで言わしめた。諡は粛。醴陵侯。次子の顧裕が継いだ。
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虞翻
164年-233年。字は仲翔。会稽郡餘姚県の人。虞歆の子。会稽太守だった頃の王朗に仕えたのち孫策、孫権に仕えた。古の狂直と評され多くの不快な行跡から孫権の怒りを買って追放同然で交州に左遷された。易経に精通して『易注』を著したほか、天文や医学にも通じる博学であった。
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袁渙
生没年不詳。字は曜卿。陳郡扶楽県の人。袁滂の子。劉備の秀才に推挙され袁術、呂布、曹操に仕えた。常に公正でいずれの主君からも礼遇された。魏の郎中令、御史大夫まで昇った。その死に対して曹操は涙し古い友人として穀物を下賜したという。
秦漢時代
三国時代
五胡十六国時代
五胡十六国
その他
南北朝時代
南朝
北朝
隨機
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慕容鍾
生没年不詳。 字は道明。 慕容運の孫。 慕容制の子。 始め西燕に属して慕容永に従ったが、後に妻子を捨てて後燕に離反した。 慕容徳を補佐した南燕創業の功臣で、司徒、都督中外諸軍事、録尚書事など重職を務めた。 慕容超が即位すると失脚し、慕容法、段宏らと反乱したが失敗、後秦へ亡命した。
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到仲挙
517年-567年。字は徳言。到洽の子。陳蒨の下で昇進を重ねた。統治は公平であったが、学問に暗く必ずしも実務に長けてはいなかった。陳蒨の死後、陳伯宗が即位すると、その輔弼を任された陳頊を排除しようとして失敗し、陳頊に逮捕されたのち処刑された。
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張芝
?-192年。字は伯英。敦煌郡淵泉県の人。張奐の子。崔瑗、杜度に師事して書を学び、草書に優れて草聖のひとりに数えられる。書道の別名である「臨池」とは、書に没頭するあまり庭の池が常に真っ黒であったことに由来する。生前から評価され鍾繇とともに王羲之以前における書の大家であった。