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徐邈
172年-249年。字は景山。燕国薊県の人。曹操の河北平定時に仕官した。県令、太守、刺史を歴任するたび道徳的で民に寄り添う行政手腕が評価された。蓄財しないために曹叡からは生活費を特別に支給された。司空を辞退し相応しい人物がいなければ空位とすべしとした。諡は穆。都亭侯。
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王元姫
217年-268年。東海郡郯県の人。王粛の娘。司馬昭の妻。司馬炎の母。幼くして礼節と孝行を持ち合わせ祖父の王朗からは男子でないことを惜しまれた。鍾会の禍を予見した。没後も質素と謙譲の姿が偲ばれ、その都度親族の女性への追贈がなされた。諡は明。文明皇后。
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司馬懿
179年-251年。字は仲達。河内郡温県孝敬里の人。司馬防の子。曹丕、曹叡の信任を得て主に対蜀戦線で実績を残し魏の軍権の頂点に昇りつめた。高平陵の変をもって曹爽ら政敵を粛清し魏晋革命の先駆けとなった。晋が成立してその始祖として祭られた。諡は宣。
秦漢時代
三国時代
五胡十六国時代
五胡十六国
その他
南北朝時代
南朝
北朝
隨機
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呂隆
?-416年。字は永基。後涼の第4代天王。末主。呂光の弟・呂宝の子。呂纂が呂超らによって殺害されると呂超らに擁立された。相次ぐ内訌により後秦の侵攻に抗えず、降伏して長安に連行された。後に姚弼の謀反に巻き込まれ姚興に処刑された。
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慕輿根
?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。
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馬武
?-61年。字は子張。緑林軍で早くから劉演、劉玄に従った。劉秀とも協調し、謝躬の配下として昆陽の戦いや河北平定で劉秀を援けた。王郎討伐後は劉秀に従い、以後、多くの前線を受け持った。酒好きで直言する癖があったが、根は謙虚であり敵を作らなかった。捕虜将軍、楊虚侯。